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2024年09月18日

コロナ後遺症

令和5年2月14日、何となく熱っぽいので、午後、小松医院に行く。受付でどうしましたか、と尋ねるので、ちょっと熱があるので、と言うと、ちょっとあわてた感じで、私を廊下の一番奥へと案内し、ここで待てとのこと。何か、変である。少したって、診察室に呼ばれ、鼻に綿棒のようなものを突っ込んだ後、「これはコロナです」と言われて、えらく驚く。少し前だったら、大変な事で大騒ぎするところだ。

今は、インフルエンザぐらいの位置づけとなり、いとも簡単に、「5日分の薬を出しときます。それで様子を見てください」と、帰される。ちょっと風邪をひいたぐらいの感覚である。

家で、薬を飲んで様子を見るも、5日たっても完全には下がらず、微熱が続く。そのため、小松医院に通うも、あまり真剣に考えてくれない。この薬で様子を見てくださいの一点張りである。それでも微熱は相変わらず続き、最悪の気分であった。

そこで、小松医院をあきらめ、少し先にあるあおば医院に行く。
ここの先生は、徹底的に調べるタイプの先生である。今までの経緯を説明すると、「わかった。貴方は徹底的に調べたいのでしょう。それでは東久留米に行って、CTスキャンを撮ってきてください」とのことで、車が迎えに来てくれ、CTスキャンを撮ってくる。
先生はこの画像を見て、「山宮さん、特にこれといった大病はないようだよ。安心して結構です。微熱は忘れなさい。大丈夫!」と、太鼓判を押してくれたので、まずはひと安心する。

しかし、微熱は相変わらず続いていて憂鬱である。そこで強い味方のインターネットで調べると、コロナでの後遺症で微熱で苦しんでいる人が、沢山いることがわかった。長い人で、半年ぐらいとのことである。これを見て、大いに安心する。なぜ、もっと早く見なかったのかと、ちょっと後悔した次第である。ちなみに約4か月で微熱が解消し、今はルンルン気分である。

  


Posted by yamasin at 11:06Comments(0)
令和5年11月2日(木)、いつものように木曜会のコーチをした。最後の11人目の島村さんが終わったとき、えらく疲れてしまって、精魂つきたような気がした。やっとコーチを終え、ホッとしていると、島村さんに「コーチがバテバテで申し訳ない気持ちがする」と言われてしまった。そんなにバテて、体が動かなかったのかとドキッとした。

翌朝、2階から下に降りようとしたら、腰に異変が! 普通に立てない! 何が起きたのか、全然わからない。不安とあせりでえらく動揺してしまう。この日は11月3日(金)の祭日で医者は休みである。しかたなく家でじっとしている。

翌日の11月4日(土)、朝一番で浅沼整形外科に駆け込む。病院はえらく混んでいる。1時間30分待ちで、ようやく番が回ってきた。一昨日からの一連の体の動きを説明する。腰全体の四方からレントゲンを撮るも、レントゲンではこれといった箇所は見当たらない。でも、「これは脊柱管狭窄症よ」、とあっさり診断されてしまう。

「とりあえず、MRIを撮ってこい」と言われ、月曜日にMRIを撮ってきた。「ほれ、ごらんなさい、一番下の箇所が詰まっているでしょ。これが原因ですよ。」と言われ、「それではどうすればよいのですか?」と尋ねると、「薬で痛みを止めて、数か月様子をみると、治癒している人もおります。また、手術をする人もおります。あなた次第です」とのこと。とりあえず、薬で痛みを止めてもらい、様子をみることにした。

11/24(金)、高校OB8人から恒例の卓球大会に誘われる。腰の脊椎管狭窄症で痛みがあると話すと、脊柱管狭窄症の情報がたくさんあるから、とりあえず参加せよ、とのことで、立川の柴崎体育館にやっとの思いで参加する。

最初の試合で驚く。ボールがうまくはじけない。おかしいなと思いつつもすぐに慣れるだろうと、繰り返すも、何回やっても同じである。まったく予期せぬことが起こっている。これは昔、腕が上がらなかった腱鞘炎(けんしょうえん)ではないかと、自分なりに判断する。この日は惨敗してしまう。

翌日(土)、浅沼整形に行き、「右腕が腱鞘炎なってしまった」というと、「患者が勝手に病名を付けるものではありません、私の診断の結果、病名が決まるのです」と怒られてしまう。それでも腕、肩、とレントゲンを撮るも、それらしきものがみつからず、いぜんとして上手く腕が動かない状態が今もつづいている。これら全体から、わたしは「体がこわれた」と思っている次第である。  


Posted by yamasin at 11:58Comments(0)

2023年11月01日

蕁麻疹

令和5年10月24日(火)、突然、腕、足、お腹まわりが痒くなって、少しばかり赤い湿疹ができていた。しかし、その時はあまり気に留めていなかった。その夜、ビールを飲んで、いつものようにテレビで囲碁対局を見ながら床についたら、全身がかゆくなって、これはおかしいと思い始めた。虫刺されではなく、何かまったく予期できぬ何かが起きたのではないかと、えらく不安になった。それでも我慢できないほどではないので、なんとか眠りについた。

翌朝、起きて、相変わらず、かゆいままなので、すぐに岡村皮膚科へ飛んでいく。
「どうしたのですか?」と言って、先生は私の腕や足の湿疹を見て、「何、これ!」とひどく驚いている。この先生のいつものしぐさである。

「全身がかゆいんです」と言うと、「これは蕁麻疹よ」と、あっけなく診断する。
その診断を聞いたとたん、ほっとする。子供の頃、よく「蕁麻疹」という病名を耳にしていたし、その症状とよく似ているので、えらく納得してしまった。

これは治ったも同然、という気分で、病院をあとにする。その夜、食事の後、もらった飲み薬をのんで就寝すると、翌朝、痒みはいっぺんにどこかに消えてしまった。一件落着! 笑い話のつもりで、このブログに書き残すことにした。


  


Posted by yamasin at 11:55Comments(0)
令和5年2月3日、またまた、めまいが起きた。
過去を調べたら、10か月おきに定期的に続いている。加齢のせいか、過去の記憶が飛んでしまっていた。

2月3日(金) 朝6時、トイレに行こうとしたら、周りが動いており、気持ち悪くて動けない。
めまいだと気づき、少しじっとしている。何とかトイレに行き、階下に降りて、洗顔、歯磨き、朝の体操をこなし、朝食を食べる。

そして、その日の恒例の碁敵との囲碁を国立で打ち、帰ってきて、夕刻、島村家での餃子パーティに出席した。
おいしい水餃子などでビール、焼酎を飲み、気分上々で帰り、床につく。すっかりめまいのことは飛んでしまっていた。

翌朝、起きると、またまためまいで立てない。今までにないことなので、精神的にえらいショックを受ける。
なんとか朝食を済ませ、9時前にもろぼし耳鼻咽喉科に駆け込む。

いろいろ検査した結果、脳の異常ではないことがわかり、まずはひと安心する。
しかし、横になって、起き上がるとき、今でも少しふらつきが残っている。

そのため、もろぼし耳鼻咽喉科でもらっている薬を飲んでいるが、まだ不安は残っている。
今までにない程の長引いていることと、ふらつきが残っていることもあり、憂鬱の日々を送っている。我慢するしかない。  


Posted by yamasin at 11:19Comments(0)

2022年03月16日

久しぶりのめまい

3月14日(月) 久しぶりのめまいに襲われた。
17時頃、2階で横になってテレビで相撲を見ていた時、トイレに行きたくなって、起き上がろうとしたとたん、畳が動いて、起き上がれなくなった。

めまいだ!と思い、じっと周りの動きが収まるのを待つ。胸がむかつき、吐き気がひどく、とても起き上がることができない。仕方なく、また横になった。

相撲番組が終わったので、下に降り、風呂に入って、ビールを飲まなくては、と起き上がろうとするが、まだ畳が動き回っている。立ち上がれない!
必死に胸のむかつきを我慢して、這っていって、階段を降りた。

30分ほど経った頃だろうか、昔もらっていた「めまい薬」を飲んだ。
また30分くらいたつと、ようやく胸のむかつきも弱くなって、ビールを飲もうかと思ったが、さすがにやめた。とりあえず、梅のお粥を食べた。20時ころになったら、胸のむかつきも収まり、気分も大分よくなった。早く寝たほうが良いという女房殿の言葉に従って、床についた。

翌朝はまったく普通だった!
朝6時に起床、洗面、体操、朝食等、まったくいつも通りである。火曜日なので、体育館に9時に行って、姉さんと一時間卓球の練習をして帰ってきた。

何気ないいつもの生活が、これほど、ありがたいとは、あらためて思い知らされた一日であった。  


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2021年07月07日

トイレで監禁!

7月4日(日) 15時30分頃、卓球連盟の天狗大会から帰宅し、トイレに入り、出ようとしたら、鍵がかかったままで戸が開かない。何か起きたのか、よくわからない。取っ手をもってガタガタさせるも、ウンとも動かない。完全にトイレ閉じ込められたのだ。

キツネに化かされたような気分になる。「おーい」と外にいる女房を呼ぶと、「どうしたの?」と外から声がする。

よく考えると変な話だが、「鍵がかかって、中から開けられないから、そちらから開けてみてくれ」と頼む。外からガタガタするも、内側と一緒で全然ラチがあかない。「どうしたのかしら」と女房も思案にくれている。

取り敢えず、ドライバー等を外の窓から入れてもらって、いろいろやってみるが、手の施しようがない。鍵は簡単にドライバーで外せるものではないことを思い知る。

あれこれ、考えた末、隣の武〇さんに頼むのが最善だと思いついた。彼はいろいろな道具を持っており、その道具を駆使した仕事もたくさん見せてもらっている。女房に武〇さんを呼んでもらった。

最初、彼も鍵を壊そうと思ったらしく、外で金槌をたたくような音がしていたが、壊れそうにないと判断したらしく、バカになった鍵を切り落とすことにしたようだ。外から鉄のノコギリのギイギイという弱弱しい音がする。「これでは何時間かかっても切れない」と外側の声。「よし、家から電動ノコ持って来る」といったと思うと、数分後、突如、耳をつんざく爆音が鳴り響いた。何とも頼もしい音だ。

それから数分後、突然ドアが開く。「わぁ!」という歓声が沸き、私も呆然としながらも、嬉しさがこみ上げてきた。感激の顔で武〇夫妻に頭をさげる。武〇さんも嬉しそうに、「よかったですねぇ」と答えてくれる。

現在、熱海では、考えられないような土砂崩れが起きているが、自分の身近にも、こんなありえないことが起きるのだ、とつくづく思った。ともかくも、すごい一日であった。  


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2021年04月21日

体の変調

4月17日(土)
朝6時に起きて、トイレに行こうとしたら、何か変である。
周りが動いている。気持ちが悪い、胸がむかむかする。久しぶりの目眩だ。

困った!今日は土曜会のコーチだ!と、すぐに頭に浮かぶ。でも、今日の目眩はいつもより軽い。少し下を向いて、じっとしていると、むかむかが治まっていった。

6時40分、いくらか楽になったので、歯をみがき、顔を洗う。そして何時ものように新聞を見て、テレビの朝ドラを見て、朝食を普通にたべ、何となく持ち直す。

不安ではあったが、土曜会に出かけ、約2時間のコーチをこなす。しかし、最後の一人の時に、えらくお腹がさしこむ。終わったとたん、トイレに駆け込む。えらい下痢である。それでも何食わぬ顔を出てくると、周りの人から、「どうしたのよ、顔が真っ赤だし、血圧でも高いんじゃない?」と言われてしまう。「大丈夫」とシラをきった。

そして、そのあとのジョナサンでの昼食会にも参加し、いつもの通り、ビールを飲み、コーラをのみ、食事もしてしまう。
気持ちよくおしゃべりをして家に帰ったら、少したってから、えらくお腹が差し込む。それから夕刻7時過ぎまで、何回もトイレを往復した。

それが結構苦しいのだ。下痢がこんなにも苦しいものだと思わなかった。高齢だということを自覚して、おのれの体をいたわらなくては、と思い知った出来事だった。  


Posted by yamasin at 11:43Comments(0)

2021年01月20日

新年の挨拶

令和3年1月20日
新年あけましておめでとうございます。

「おめでとう」と言う気分ではないが、年が明けてしまった。
昨年から今年にかけて、コロナ、コロナで明け暮れ、生活リズムが否応なく崩されてしまった。

ところで、新年早々の1月5日(火)、運転免許証更新のため、認知機能検査を受けに、府中の免許試験所に出かけた。
よもや、合格点の76点が取れないとは思ってもいなかった。黄色い用紙(認知症の初期段階)が来た時は、びっくりした。

どうも腑に落ちないので、なぜ落ちたのかと、教官に聞いてみる。教官いわく、16枚の絵の点数が悪かったのだと言われる。
認知機能低下という、その結果から、最近の物忘れのひどさを納得せざるを得ない状況になってしまった。

ということで、何となく、「自信喪失」から始まった令和3年であった。  


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2020年09月23日

女房殿の退院

8月8日、女房殿が膝の人工関節の手術で、桜町病院に入院をする。
早一ヵ月半が過ぎた。その間、炊事、洗濯、ゴミ出しなどをしつつ、三食をクリヤー。日常生活がこんなにも大変であることを、いやというほど思い知らされる。中でも食べることの難しさが一番である。

ようやく、8月27日(月)に退院が決まった。ホッとするも、いろいろと支えてくれた皆さんのおかげだと感謝、感謝。
これからはわがままを少し控えめにしていこうと思っている。  


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2020年09月02日

女房の入院

9月2日、久しぶりの近況報告。

8月8日(土)、女房殿が膝の人工関節手術のため、桜町病院に入院した。それから早25日が過ぎた。
炊事、洗濯、掃除、ゴミ出し等、すべて一人でやるので、実に大変である。特に三食を食べることが、こんなにもキビシイとは思わなかった。いささか参っている。

近くにいる息子が毎週土曜日に来てくれ、ご飯を炊き、冷凍タッパーに入れ、ご飯の冷凍保存をしてくれる。酒の肴まで作ってくれるので、大いに助かっている。

また娘も江戸川区から来てくれ、たくさんの料理を作ってくれた。嬉しい反面、食べきれないので、ちょっと困り加減だ。
何はともあれ、しばらくは我慢!、我慢!でやり過ごすしかない、と思っている。

女房殿の入院は一か月半と言っていたので、待望の退院は、まだまだ先である。  


Posted by yamasin at 11:42Comments(0)
新型コロナウイルスが発生し、今、いろいろなところでいろいろな形で影響が広がっている。
今現在、新型コロナウイルスの国内感染者は1000人(ダイヤモンドクルーズ船の乗客乗員706人を含む)、死者12人、27都道府に及んでいる。

私めがこのために受けた影響をあげてみることにする。

1、2/20日、女房どの眼瞼懸垂の延期
2、3/7日、宮崎映子さんの文部大臣賞受賞祝賀パーティーの延期
3、3/15日、みどりスポーツ少年団納会の中止
4、3/18、日東児童館卓球指導の中止
5、3月のパソコン教室の中止
6、市町村連盟の大会で3月、4月の4大会が中止

この為、3月の3つの大会は既に会費が納入されているため、返金をしなくてはならくなった。会計担当なので、この業務に奔走しなくてはいけない。結構な作業となりそうだ。



  


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2019年07月17日

肩と首の痛み

令和元年7月16日(月・祭) スポーツ少年団の練習時、10時20分頃、子供に球出しをしていたら、急に右肩に痛みを感じる。変だな、と思いつつ、次の子供の時には、首を動かすと、首にも痛みを感じるようになり、球出しを続けていたら、ますますひどくなってきた。これ以上は続けられないと、判断し、休憩時に仲間の指導員に話して、後半を休ませてもらった。

そして、いつも行っている服部整骨医院に駆け込む。相変わらず、いつもの代わり映えのない治療をする。
その日の夜、寝られず、首と肩に負担のかからないようにいろいろと寝方を変えたりして、えらく苦慮した。

次の日の火曜日、黄金井クラブ練習に心配しつつ出かける。相手が初心者が多く、ショート打ちで対応ができたので、何とかクリアーできた。

翌日の水曜日、服部整骨院の一真先生に話したら、使い続けていたため、肩の張っていた筋肉に限界が来たのではないかと言う。何となく納得する。早く治すには、「保険外ですが、超音波治療をお勧めしますが、いかがですか?」とのことで、超音波治療をしてもらう。

今は、首を後ろに曲げると、痛いが、肩が動くようになり、明日の木曜会の練習はできそうである。
ところで、パソコンの先生にネットで調べてもらったが、この症状は何か大変らしい。
とりあえず、これから治癒するまで、どんな状態かを、記録しておこうと思っている。

翌日木曜会、こわごわとフォアを振ってみると、あまり痛みを感じない。嘘みたいだとおもいつつ、嬉しさ百倍。
それでも怖いので、強振せず、木曜会の練習をクリアーする。

翌日金曜日、再び服部整骨院に行き、超音波治療を行い、さらに良くなった気分に浸る。

翌日土曜日、土曜会の練習は、怖さもなく、通常通りにできて、治ったような気分である。しかし、依然として生活の中では、右肩、首筋は重い。

翌日曜日、スポーツ少年団は、いつものとおりにでき、翌々日の火曜日、黄金井クラブのコーチ、第三小学校の自分の練習もやってしまう。

経過がえらく順調で、キツネにばかされたような気分だが、このまま順調に続いてくれるのか、まだ不安だらけの心境である。  


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2019年03月06日

久しぶりの風邪

平成31年3月3日(日)の午後、えらく体がだるい。熱を計ったら36.8度だ。もともと平熱が低いので、きつく感じる。
家にあった風邪薬PL20を飲んだが、きかなかった。

夜になったら、熱が37.3度まであがり、気分が悪くて閉口する。
それでもビールを飲んで寝れば大丈夫、とたかをくくっていたら、翌朝も37度台だったので弱った。

これはいけないと、朝一番で青葉クリニックに行く。症状を説明し、喉の具合、インフルエンザ等を調べてもらう。

「ただの風邪でしょう。風邪薬PL20より強い薬を出しておきましょう」とのことで、その日の夜、ビールも飲まず、薬を飲んで、寝た。
翌朝大汗をかいていて、寝間着を取り替えたら、すっきりして、熱も下がってくれた。

この日の黄金井クラブの卓球を何とかクリアーし、一件落着、安堵したという訳だ。











  


Posted by yamasin at 12:03Comments(0)
平成31年2月13日、何気なく昨年の日記を読んでいたら、ブロクに残しておきたいことが見つかったので、記すことにする。

昨年の平成30年10月9日(火)、21時頃から、持病の胃の症状が出て、一晩中苦しみ、翌日の13時ぐらいまで、えらく辛い思いをした。

この持病が前回、いつ起きたのかを調べてみると、平成27年4月22日で、約3年半前のことだった。こんなに前の出来事だったのかと、改めて驚く。

ところで、今年の1月6日(日)、武蔵野オープンラージボール大会の時に、また胃の調子がおかしくなった。
午前9時ごろ、またいつもの持病だと気づく。これから10時間以上も苦しむのかと思うと、えらくこたえてしまったが、ともかく、我慢して、耐えた。

意外にも今回の症状は比較的軽く、約9時間ぐらいで回復した。こんなこともあるのだと、嬉しかった。

ただ前回の胃のトラブルから、まだ3か月しかたっておらず、余りに間隔が狭いので、そのことが、ちょっと気がかりである。
  


Posted by yamasin at 11:42Comments(0)

2018年10月24日

気分爽快!

ここの所、卓球のスケジュールがかなりきついと感じていた。
黄金井クラブのコーチを、誰かと交代出来ないかなと思っていたが、周りを見渡しても適当な人がいない。ドツボにはまった感じで、悶々としていた。

8月に第三小学校の卓球台を交換する時に手伝いに来てくれていた、タマス卒業の酒井さんに会う。暇だから手伝いに来たとのことだ。
この時は、何も思わなかったが、何日か過ぎて、ふと思い出し、この人が最適だと思った。
さて、どうすれば良いのかと、手をこまねいていた。

そんな頃、酒井さんが国立にある卓球専門店に時々、アルバイトに来ていることを知った。専門店のご主人に相談すると、話してあげますよとの返事をもらった。それからはとんとん拍子に話が進み、10月23日(火)に黄金井クラブの練習日に来てもらい、一緒にコーチの体験をしてもらった。

思っていた通りの人で、前向きで、山宮さんの言うとおりにしますという返事に、嬉しさも百倍、最高の気分となった。
こんないい気持にさせてもらったのも久しぶりである。クラブのみんなにも評判は上々だ。
まだ交代したわけではないが、先の見通しがついて、万々歳の日々となり、気分爽快の日々を過ごしている。  


Posted by yamasin at 11:09Comments(0)
10月1日(月)
最近軽いめまい、体のふらつきがたびたびあり、また何気ないサービスがラケットの先端に当たったり、指に当たったりし、脳がおかいのではと気になっていた。

そんなことで、近くの桜町病院脳外科をたずねる。受付で、当医院では脳外科はあるのですが、現在かかっている人は、受けるが、新しい患者さんは受け付けません、といって梶野町に新しくできた、いせだ脳外科・脳内科医院を紹介される。

地図に従い、行ってみるも、地図がちがっており、着くまで30分ぐらいかかってしまう。10時40分に着き、初診申込をし、順番がきたのが11時25分。どうされましたかと聞かれ、軽いめまいと、体のふらつきがしてと答えると、めまいは、耳鼻科のほうがよろしいと思いますが、と言われ、めまいについていろいろ説明してくれる。

そして手を回したり、指を動かしたり、足を交互にしたりと、一連の動作をさせられる。これを見て、まったく正常に見えますが、それでも心配ならば、脳のMRIを撮りますか、と言われ、願ってもないことで、すぐにMRI検査をしてもらうと同時に首の撮影もしてもらう。

MRI検査20分、首の撮影5分。
それから待つこと10分して呼ばれ、パソコンに写し出されたMRIの画像を見ながら説明をうける。

この映像を見る限りでは、心配するようなところは見当たりません、首の頸椎の所の軟骨がへって神経に触っているところがありますが、首はどうですかと聞かれる。首は整形に通っていることを伝える。わかりました、念のため、エコー検査を後日させてくださいと言われ、エコー検査の予約を取っ手帰ってくる。

まずは安心した次第である。  


Posted by yamasin at 11:19Comments(0)

2018年03月14日

息を吸うと咳がでる

ここのところ、寝る時や、息を吸う時などにせき込むので、インターネットで調べてみると、慢性咳嗽のような気がする。

そこで、3月7日(水)13時45分、小金井メディカルクリニックに行く。
次々と医者が質問する。
1、いつ頃からせき込むようになったのか(2,3日ぐらい前)
2、寒いときとか暑いときどっちがひどいか(特にない)
3、花粉症はありますか(特にない)
4、昔に煙草吸っていたのはどのくらいか(30年くらい)
5、肺のレントゲンはうけているか(毎年受けている)
等々を質問しながら、医者がパソコンに打ち込む。

聴診器を胸、背中にあてる。特に症状なしとのこと。

念のためにレントゲン写真を撮らせてください、とのことで胸のレントゲンを撮る。
映像を見ながら、説明をうけ、この裏側が気になるので、CTスキャンを撮らせてくださいと言われる。

CT撮影と同時に血液検査も行い、そのデーターをもとに説明を受けるが、あまり決め手となるような話ではなかった。

間質性肺炎が選択肢されるが、よくわからないので、抗生物質の薬と咳止め薬を出しておきますとのことであった。
来週の2時の予約を取って帰っくる。  


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2018年01月17日

年末年始の苦しみ

去年の11月の突然の腰痛から始まった体調不良は、治まるどころか、更に悪化し、年末には声が出ない、熱が続くという最悪な年末年始となった。その顛末を日記風に書いてみた。まずは年末までの詳細を書くことにする。

12月24日(日) 15.00頃、武蔵野市ラージボールの大会から帰って来て、家で一休みしていたら、急に声がかすれ、話しずらくなる。

少し経つと、右目がごろごろして、まつ毛が刺さったような、違和感がする。目を水道水で洗うも一向に直らない。たいしたことないだろうと床についたら、翌朝、目やにで目がふさがり、左目にも同じような症状がでる。

声が出なくなった。
今日は月曜日で何もないので、ゆっくりと養生すれば、明日は元気になるだろうとタカをくくっていたら・・・甘かった!

翌日の火曜日は黄金井クラブのコーチ、三小の練習。その後の締めの忘年会とえらく忙しい。
黄金井クラブをこなし、がまんがまんで、三小の締めの忘年会のときは、声が出ず、挨拶するのがやっとだった。

声をふりしぼり、乾杯の音頭をとって、ビールを飲むが、すこしも美味しくない。周りの人から目が赤く、顔が変形していると、脅かされ、少し早めに中座させてもらった。

翌日、さすがに我慢できず、桜町病院眼科に駆け込むと、ひと目見るなり、「これは完全な結膜炎です」、と言われた。
「今どき、めずらしいですね、どうしたんでしょうね、体が弱った時にかかるものなんですよ」と言われる。

ここのところ、相当、無理をしてきたのがよくなかったのだと悟る。
声のカスレ、喉の痛みはますますひどくなって、夜中、ひどくセキ込んで辛かった。

29日(金)、ご近所会の忘年会に無理をして出席した。
お湯割りを2杯飲んだところで、体中のふしぶしが痛くなり、約1時間で女房と二人で、体調不良ということで帰ってくる。

帰って来たものの、えらく苦しく、ひどくセキ込む。なんとか、床につくも、セキがひどくて寝ていられない。睡眠導入剤を飲んでやっと眠った。

12/30(土)、昨日の苦しみは尋常じゃない。
今日は絶対に医者行かなければと思ったが、12月30日で、どこも病院は休みだ。市報で当番医を探して、あおば医院に行く。

ものすごい込みようだ。普通ならとても待っていられるような状況ではない。
しかし今の自分は、わらにもすがる思いなので、絶対に我慢して診察を受けよう!と決心し、待つこと2時間、やっと順番が回って来た。
「どうしましたか?」、と医者は、ろくろく診察もせずにパソコンに向かいながら聞いてくる。

二、三の質問後、咳止め、タン切り、喉の薬、うがい薬、解熱などの薬を5日分、出してくれた。ほんの5分間の診察だった!
この薬で大丈夫なのだろうかと思いつつも、薬をもらって、大喜びで帰宅し、薬を飲んだ。

31日(日)、昨日の薬がうまく効いたようで、セキが出なくなった。しかし、相変わらず、声はしゃがれ声だ。とりあえず、昨日からアルコールを断ち、明日の家族新年会のために、体調を整えようと、必死で養生に努めた。

こうして、2017年は、苦しい年末を送った。
新年の様子は、次回にする。  


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2017年12月13日

2017年を振り返って

今年は、これといった思い出もなく、苦しみばかりが、多かりき年であったような気がする。

女房殿は相変わらず体調がすぐれず、自分もここの所、腰痛に悩まされている。日常の生活もままならず、健康のありがたさを、痛感している次第である。

しかし最近の女房殿は、精神的には大分よくなったらしく、時々テレビで好きな番組を見て、楽しそうにしているのを見ると、とても嬉しい。

これで自分の腰痛が直り、元の生活に戻れれば万々歳である。しかし、一体、いつになるかは不透明である。  


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2017年11月29日

再び整骨院へ

11月27日(日)、天気も気温もよいので、朝から2階の窓ガラスを拭き、欄間の埃を掃除機で清掃していたら、えらく腰が痛くなる。
いつも通り、休み休み続けていたら、我慢ができなくなる。やりすぎたかなと思いつつ、横になればすぐによくなると、タカをくくっていたのが、大間違い。立ち上がって、腰をまっすぐのに、ひと苦労だ。

明日の卓球が頭をよぎる。楽天家の私、今夜、風呂に入って、ビールを飲んで寝れば、大丈夫と軽く考えていた。

翌朝、起きて、びっくり。なんという腰の痛みか!悲壮感に襲われる。
これはまずいと、朝食を早々に済ませ、午前8時30分、服部整骨院に駆け込んだ。

今日は腰を痛めたので、腰をお願いしますと言ったら、腰を触診し、「なんだ、こりゃ、ひどいじゃないか! このまま放置すると、けいれんを起こして、腰どころか、体を動かすことができなくなる」、と脅される。

「あなたは以前にも腰の治療で来て、痛みがなくなったら、勝手に治療をやめるから、ツケが来たのだ」、と更に、延々と説教される。

この状態で、今日、これから卓球をやるのかと聞かれ、「ハイ」と答えると、驚いた様子で、少し考えて、「よし、それなら、嘘と思われるほど、効く治療法がある。これは当院独自の超音波治療で、保険はきかないが、治療後は腰がしゃんとする。だまされたと思って、やってみるか?」と聞く。ワラをもつかむ思いの自分にとっては、願ったりかなったりだったので、その治療に飛びつく。

足首と膝に超音波を流すと、血流がよくなったらしく、腰がしゃんとする。ただ、超音波がよかったのか、アンマがよかったのか、はわからない。

今日はこれで乗り切れそうな気がして、安堵する。

今、現在、腰の状態は、泣かず飛ばずである。当分、通院するつもりだ。
先週のブログで、通院をやめると、書いたばかりだったので、恥ずかしい限りだ。

自分の体は、いつの間にか、こんなに疲労が蓄積してしまっていたのだ。
自己判断の甘さを反省させられた出来事であった。  


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